「楽屋」演出ノート

三条会 主宰・演出 関美能留

 

 

 今回の公演に清水邦夫作の「楽屋」を選んだのは、同じ千の葉の芸術祭で、私が担当している小学生向けのワークショップが関係している。そこでは、子供たちと、学校をモチーフにした作品作りをしている。テレビや映画などからではなく、〈自分の生活〉の延長として、演技を考えてもらいたかったからだ。では、私たちの公演はどうするか。私と劇団員たちは、〈演劇〉と生活を共にしている。なので、演劇や女優がモチーフになっている「楽屋」という戯曲を上演することに決めたのである。子供たちが三条会の作品を見て、なにか感じ取ってくれれば良いし、また、私たちも子供たちから学ぶことがあるはずだ。

 

 

 さて、「楽屋」の演出である。認めたくはないが、コロナ禍だ。稽古がなかなか難しい。感染症を防ぐため、リモートで稽古をしたり、ソーシャルディスタンスに気を使ったり、マスクをしながらの稽古が続いた。苦労話をしたいわけではない。制約は想像力を生む。そして、私は気付いたのである。コロナ禍の前の状態にしようと思うから苦労するのだと。コロナ禍を受け入れ、この戯曲とコロナ禍がリンクする部分を探し、夜明けを待つような作品にしたいと思った。演劇は、現在の苦労を笑い話にする力を持っている。ソーシャルディスタンスをとりながら、会話していたりするのは、はたから(客席から)みれば、とても面白いことなのではないか。たとえば10年後に再演するとして、そんなこともあったねとなつかしくなるような作品になればいい。それこそ、この「楽屋」の副題にもある「流れ去るものはやがてなつかしき」である。

 

 

 本日はご来場ありがとうございます。正直、まだ夜明けは先な気がします。でも、この作品を見て、夜明けを待つ楽しさを感じてくれたら嬉しいと思っています。