■三島由紀夫の言葉/肉体
── 三島由紀夫をレパートリーの1つとして
公演をしてきた三条会が、
今回、2008年12月のアトリエ公演(『弱法師』)以来
三島をとりあげるということですが、
長らく演劇・演出という立場から三島を読んできて、
どこに持続的な関心のポイントがあるのでしょうか?
関 僕がたぶんずっとやってきたこととしては、
「文学に肉体を乗っけたら
なんだか変なことになっちゃったよ」
ということだと思います。
いろいろな戯曲を上演してきましたが、
三島由紀夫の戯曲がいちばん「変なことになっちゃった」
ということになる気がします。
それは、なぜだろう。
ボディビルで鍛えた肉体というのは
実用的でないからかもしれません。
農業や土方などで、
鍛えた肉体ではないという意味です。
僕が、俳優にとって求めている肉体も、
生活にとって実用的でない肉体なのだと思います。
なので、実用的でない俳優の肉体が
三島由紀夫さんの文学に乗っかったときに
なんか変なことになっているのが、
僕としてはおもしろく感じていることだと思います。
── 三島由紀夫が、演劇化した際(肉体を乗せた際)
いちばん「変」に感じられたということですが、
関さんはこれまで、ギリシャ悲劇など、
地理的にも時代的にも、
三島より隔たった戯曲を上演してきたはずです。
にもかかわらず、なぜ三島の戯曲が
いちばん「変」に感じられるのでしょうか?
関 様々な戯曲を上演してきましたが、
ふつうは、翻訳家なり作家なりが
人間に喋らせることを目的に書かれたものが
当たり前だと思います。
外国人だったり、戦時中だったり、
私たちと距離を感じるものもあったのですが、
「文体」においては
そんなに距離を感じるものはありませんでした。
三島由紀夫の「文体」は
人間が喋る「文体」ではない感じがします。
舞台化した時に「文体」と「肉体」の差が
顕著に現れるのではないでしょうか。
これは観てもらえないと
わからないところではありますが。
■『熱帯樹』稽古の過程で
── 稽古初期の段階では、
『熱帯樹』の読み方(漢字の読み方)などをはじめ、
違和感を取り出しつつ、探っている、
というようなお話でしたが〔*〕、
ちょうど公演一か月前の現在、
合宿〔*〕も予定されているそうですが、
『熱帯樹』を、現在の三条会メンバーで
上演することを念頭に、
稽古の感触についてお聞かせください。
関 とくに現在の社会にとってわかりやすく
三島由紀夫さんの戯曲を上演することが
必要なことだとは思えません。
でも、人は、誰しも寂しいものかもしれませんが、
三島由紀夫さんから寂しさをことさら感じます。
僕は社会にとって必要な演劇や
人生を楽しく謳歌しているような演劇を見ると
客席で寂しさを感じます。
人に寂しさを感じさせない演劇って
なんだろうと考えています。
劇団として、そういうことを考えながら
明日からの合宿に望めればいいなと思っています。
タイトルの「熱帯樹」は、
寂しさを感じさせない象徴なのかもしれない
と思っています。
── 合宿はいかがでしたか?
新たな「気づき」などあればお聞きしたいのですが。
関 すっかり合宿で風邪をひいてしまいました。
ちょっと肉体的に無理をしてしまったのだと思います。
合宿中にしていたことは、
俳優に、作家が書いたセリフに対して
発語の根拠を示したり、
私がつける段取りに対して、
行動の根拠を示したり、
そういう作業をしていたので、
とくに目新しいことはありませんでした。
■『熱帯樹』の演劇的解釈
── 『熱帯樹』の内容/解釈についてお聞きします。
チラシには
「家族の話をするの」とありますが、
家族劇というよりは
「話」自体に重きが置かれた会話劇、もっと言えば、
言葉のための言葉が連なった劇に見えます。
他方、登場人物たちは病気の郁子をはじめ、
身体に何かしら弱さ(老いなど)を抱えている。
さらに、家族の心理劇だという見方を重ねると、
『熱帯樹』においては、言葉‐心‐身体が
非常に奇妙なバランスで成立している作品かと思います。
演出家としては、『熱帯樹』解釈は
どのあたりがポイントにみえているのでしょうか。
関 稽古をしながら気づいた台本解釈としては、
オープニングに郁子が、
小鳥を殺す
と宣言していることです。
つまり、この話は、
家族同士が殺すことを話している話ではなくて、
郁子が小鳥を殺す話なのではないかと発見しました。
読んでいると小鳥の存在が消えてしまうのですが、
鳥を視覚化して、
小鳥がいつどのようにして
いつ死ぬのかにスリルを持たせることが、
読んだだけではわからない、
演劇にしなければできないことなのではないでしょうか。
── 解釈について、合宿の際に気になった点などありますか。
関 とくに目新しいことはないと言いましたが、
ただ、登場人物の「欲望」に関しては、
読めば読むほど興味はわきます。
あの人たちは、結局何をしたいのか
全然わかりません。
最後まで探っていこうと思います。
── 登場人物の(何がしたいのかわからない)「欲望」に
興味をお持ちとのことですが、
殺意など、言葉としては書かれていますよね。
すると、関さんの言う
「わからなさ」とは
どのようなものなのでしょうか?
関 そうですね。
欲望は書かれてますね。
私の感覚としては、登場人物が
「生きたい」のか
「死にたい」のかがわからないということです。
これをどちらかに決めてしまうのか、
「生きたくもあり死にたくもある」とするのかは、
私にとって大きな決断だと思っています。
── もう少し、『熱帯樹』解釈について
お聞きしたいのですが、
郁子の「病気」と、その捉え方と、
劇中の人間関係における病気の意義を
どのようにお考えでしょうか?
関 僕は、郁子が発語する「病気」は、
いわゆる「病気」を意味しているものではない
と、捉えて上演したいと考えています。
たとえば、小鳥の鳴き声が
「ビョーキ」だとしたらどうでしょう。
意味のなかった鳴き声が、
時間とともに言葉になっていく。
「熱帯樹」「病気」が進んでいくとともに、
小鳥が発する音も言葉になっていく感じが
いいなと今は思っています。
── 人物および台詞の配置について、
原則としては
対等な立場の登場人物による対話が
展開されていくのですが、
秘密(の保持)がアドバンテージとなって、
時に均衡を破ってヘゲモニーを奪うような
メタレベルのセリフがあるかと思います。
そのあたり、演出上の工夫などあれば教えてください。
関 えっと、ここでいう
「メタレベルのセリフ」の意味が捉えにくいのですが、
私は演出家なので、
音響や小道具や照明によって、
ヘゲモニーを奪うことはできます。
今回は「熱帯樹」というタイトルなので、
「水」と「太陽」を用意しましょうか。
「水」は単純に飲みながら
セリフを言うことはできませんし、
「太陽」はセリフに時間制限を生み出しますし、
ひょっとしたら温度によって
セリフが変化していくかもしれません。
どのタイミングで
「太陽」と「水」を俳優に与えるかは
「セリフ」きっかけではあるとは思いますが、
それが「メタレベルのセリフ」かどうかは
私にはわかりかねます。
感覚でしかないです。
── わかりにくくてすみません。
具体例を挙げます。
第3幕の第3場~第5場にかけて、
郁子‐勇の対等なセリフに、
決定的な秘密をもった律子のセリフが
かぶさっていくところです。
ただし、ここでは勇も同じ秘密を知っているので、
作中人物たちの情報量と
パフォーマンス(言動)の戦略的(?)なあり方が、
気になっていたのですが、
いかがでしょうか。
関 そうですね。
第3幕のところの郁子、勇からの
律子の長ゼリフの流れは、
第1幕第3場の3人のシーンに
ヒントが隠れていると思っています。
第1幕第3場の3人と
第3幕第5場のセリフの違いを
考えてみようというのと、
単純に第3幕第5場で
勇と郁子は一言もセリフを発さないことも興味深いです。
その理由を俳優に肉体化させようとは思っています。
なぜ、言葉を発さないのか。
── 「私の目に見えなければ、つまり
そんなものはありはしないんんです。」(第1幕第5場)
――わかりやすく、本作のエッセンス(の1つ)を
言い当てたかのような信子のセリフは、
『熱帯樹』を演劇化する際の
困難を言いあてているようにも感じられますが、
関さんはどのように捉えていますか。
関 このセリフで、信子さんは、
自分自身を存在しないものと考えている
と読むことができると思います。
人は、自分自身を見ることができないわけですから。
私は、今のところ、ふつうに
自分自身を存在するものだと思っているので、
私の目に見えないものでも
そんなものはそこにあると考えたいです。
そこに樹が見えなくても
樹が生えていることにするなんて楽勝ですよ。
乞うご期待。
■新生三条会の挑戦/原点
── 新メンバーで初となる
三条会本公演だと思うのですが、
数か月の『熱帯樹』の稽古を通じて
集団としてどのような変化があったか。
差し障りのない範囲で教えてください。
関 新メンバーになって、
旧メンバーの時との明らかな違いは、
私が全然怒らないということです。
怒っていたとき、なんで怒っていたのかを考えると、
俳優同士のいがみ合いが嫌で、
私が怒っていれば、
嫌われるターゲットが私に向かうので、
それでいいやと思っていたのです。
今は、私自身が嫌われたくない
と思っているのかもしれません。
舞台においては、
演出家は神様みたいなもの
(偉いという意味ではありません)
なので、いつも怒ってる神様がいる舞台と、
嫌われたくないと思ってる神様がいる舞台では
質感が違うのではないかと思っています。
より人間の愚かさが
にじみ出る舞台になればいいなと思っています。
── 今回の三条会公演『熱帯樹』について、
意気込みを一言お願いします。
関 これはいつでも変わりありません。
劇団として、最新作が最高傑作です!
なんといったって『熱帯樹』は構想18年!
*今回は、連続インタビュー「演劇を続ける。」の特別編として、メール・インタビュー(2015年8月28日~9月11日@東京/松本)を再構成しました。